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力道山を刺した男 [ニュース]

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力道山を刺した男
プロレスラー・力道山は空手チョップで、国民的な人気を博していました。
日本のプロレスの父といわれる存在でした。



その力道山を刺して死亡させ懲役7年の実刑判決を受けた、当時暴力団組員の村田勝志元受刑者が死亡しましたね。

事の起こりは
1963年12月8日の深夜に、東京赤坂のナイトクラブ「ニュー・ラテンクォーター」で、39歳だったプロレスラーの力道山さんがナイフで刺されて1週間後の15日に亡くなったのです。

住吉一家系大日本興業と、力道山の護衛をしていた東声会の対立の中で起きた事件でした。

その東声会は、力道山のプロレス興業により莫大な富を手にしています。
暴力団と癒着するなど、今では考えられないことですがね。


死亡する半年前の1963年6月5日に、東京都内のホテルで、当時1億円という史上最大の結婚式をであげたばかりでした。

力道山は、1924年11月14日に日本併合時の朝鮮半島で生まれ、その後長崎県の大村市の百田家の養子となります。

朝鮮時代にすでに結婚して子供もいたそうですから、もう少し実際の生年月日より上ではないのでしょうかね。

大相撲の二所ノ関部屋に入門します。
1949年5月場所に関脇に昇進しますが、1950年9月場所に自ら髷を切って廃業します。
師匠の二所ノ関親方との間には金銭トラブルがあったと言われていました。

その後プロレスに転身します
1952年に渡米しもう特訓を受け1953年帰国して日本プロレス協会を設立します。

力道山は粗暴で感情の起伏が激しい性格だそうです。
飲食店での暴力沙汰は日常茶飯事で、その都度お金で解決していたそうです。

力道山は事業家としても成功しています。
高級アパートやナイトクラブまたプロレスの常設の会場のビルには、ビリヤード場・ボウリング場・レストランなどを併設しています。

相模湖畔や三浦半島には広大な土地を購入していました。
レジャー施設を兼ねた大規模なゴルフ場やマリンリゾートの建設を計画していたそうですが、計画半ばで死亡するのです。

相撲でも関脇、続けていれば横綱になっていたでしょうね。
またプロレスでは、国民的英雄になりましたしね。
事業家としても成功を収めています。
時代が良かったと言えばそうでしょうが、才能と努力の人だったのでしょうね。




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